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「小林徳三郎」東京ステーションギャラリー
東京ステーションギャラリー (東京駅丸の内北口)
〒100-0005 東京都千代田区丸の内 1-9-1


「小林徳三郎」東京ステーションギャラリー
「小林徳三郎」東京ステーションギャラリー
「小林徳三郎」東京ステーションギャラリー

展覧会について 小林徳三郎(1884-1949) は、日本近代洋画の改革期に活躍した画家です。 1909 年に東京美術学校を卒業、若者による先駆的な絵画表現で注目を浴びたフュウザン会に参加し、雑誌 『奇蹟』 の準同人となり、出版の仕事や劇団 「芸術座」 の舞台装飾に携わりました。 また、洋画家として院展や円鳥会展に出品、1923 年からは春陽展を中心に発表を続け、鰯や鯵といった魚を主題とした作品を数多く描き、周囲に強い印象を与えました。 40 代半ば頃より、自分の子供たちをモデルに何げない日常を表現した作品が増え、時にはマティスを連想させる明るい色や筆遣いの静物なども描いていくようになります。 晩年は、江の浦(沼津市) をはじめ自然風景に興味をもち、海景や渓流など同じ主題に取り組み、死の直前まで精力的に筆を握り、春陽展への出品を続けました。 徳三郎の死後、美術館での扱いの低さに対して、画家の硲伊之助は 「もっと評価させるべき画家」 と憤慨したと逸話が残っています。 本展は、小林徳三郎の初の大回顧展であり、約 300 点の作品と資料により、その画業の展開を追うものです。 写真家、洋画家、文学者、演劇関係者、美術評論から大勢から愛された画家による、どこか心惹かれる日常的な光景をお楽しみください。
(2025/8/26 プレスリリースより抜粋文)


会期: 2025 11/22 〔土〕→2026 年 1/18 〔日〕
休館日: 月曜日(ただし 11/24、1/12 は開館)、11/25(火)、年末年始(12/29~1/2)
開館時間:10:00~18:00 ※金曜日は 20:00 まで ※入館は閉室30分前まで 
会場:東京ステーションギャラリー (東京駅丸の内北口 改札前)
   主催:東京ステーションギャラリー [公益財団法人東日本鉄道文化財団]、東京新聞
会期中、一部展示替えがあります 都合により開催内容が変更になる場合があります

巡回展予定
ふくやま美術館 2026 4/11~6/7、岩手県立美術館 2026 6/20~8/23、碧南市藤井達吉現代美術館 2026 9/12~11/8


      

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「小林徳三郎」東京ステーションギャラリー

小林徳三郎 Kobayashi Tokusaburo: A Retrospective」
プレス説明 田中 晴子 (東京ステーションギャラリー学芸室長)
会場: 東京ステーションギャラリー2025_11_21


「小林徳三郎」東京ステーションギャラリー

2025 11_21 プレス内覧会の説明会、プレスリリース、 「小林徳三郎」 図録よりの抜粋文章です。

本展の見どころ 近代洋画家・小林徳三郎は、藤田嗣治や萬鐵五郎と同時期に活躍しました。 当時のフュウザン会や春陽会にも作品を出品し、本展展示は、碧南市藤井達吉現代美術館所蔵 《鰯》、広島県立美術館所蔵 《金魚を見る子供》 の代表作などと東京美術学校時代から 劇団 「芸術座」 の仕事から晩年までの膨大な数の作品と遺品の展示で徳三郎の全貌の掘り起こし(再評価) がおこなわれ小林徳三郎初の大回顧展で約 300 点の作品と調査資料になります。 また、フュウザン時代の岩手県立美術館所蔵の萬鐵五郎作 《女の顔》 などと 4 人のフュウザン会仲間たちの作品を展示します。

目 次 / Contets
第 1 章 洋画家を目指して / Chapter 1: Aspiring to Become a Western-Style Painter
第 2 章 大正の大衆文化のなかで / Chapter 2: Amid Taisho-Era Popular Culture
第 3 章 画壇での活躍 / Chapter 3: Playing an Active Role in the Art Circles
第 4 章 彼の日常、彼の日本 / Chapter 4: His Everyday Life and His Japan


'2025 11_21 「詩のような日常宇宙。 小林徳三郎」 報道内覧会展示風景・ギャラリートーク、プレスリリース、図録の抜粋文でご紹介しています。

・画像をクリックすると 「第 2 章 大正の大衆の文化のなかで 」 の拡大頁に移ります。

第 1 章 洋画家を目指して  Chapter 1: Aspiring to Become a Western-Style Painter

 小林徳三郎が画家を目指して東京美術学校(現東京藝術大学) に入学したのは 20 歳の時だった。 白馬会系の西洋画家たちに温和で写実的な絵を学び、妻、そして風景などを繰り返しスケッチしながら卒業を目指した。
 1909 年に西洋画科本科を卒業し、政府主催の公募展(官展) での入選を目指していたが、学友の眞田久吉に誘われ、新しい美術運動として注目されたフュウザン会に加わって作品を発表することになる。 徳三郎はその展覧会に、油絵や水彩画だけでなく、木炭・エッチングなどの版画も出品した。
 フュウザン会では萬鐵五郎や岸田劉生、木村荘八らがポスト印象派の代表的な画家であるゴッホやゴーギャンらに影響された作品を発表したが、徳三郎はむしろロートレックやドガといった画家たちの表現に惹かれていたようで、曲芸などの見世物やそれを観賞して楽しむ人々の姿をラフなタッチで表現した作品を残している。

1-1 初期の作品―東京美術学校在学中、徳三郎は両親の住む兵庫県で従妹の西坂政子と出会い、夏休みに彼女をモデルにして、油彩の課題に取り組んだ。
1-2 フュウザン会とその周辺の―徳三郎はフュウザン会の展覧会で、油彩画や水彩画、さらにはエッチングや木版画を発表した。

No.1-1-23《政子像》No.1-1-26 《裸婦》東京ステーションギャラリー

・右 No.1-1-23 《政子像》 1912 年頃 油彩、カンヴァス 33.2 x 24.3 個人蔵 / ・左 No.1-1-26 《裸婦》 1915 年 油彩、カンヴァス 23.3 x 17.2 広島県立美術館蔵

・No.1-1-23 《政子像 小林徳三郎は選んだ題材を、とことん描きました。 その初期の例が、のちに徳三郎の妻となる政子で、さまざまな姿を捉えたスケッチなどが残されています。/ ・No.1-1-26 《裸婦 モデルの姿勢から瞬時に筆を走らせたものと思われる。


'2025 11_21 「詩のような日常宇宙。 小林徳三郎」 報道内覧会展示風景・ギャラリートーク、プレスリリース、図録の抜粋文でご紹介しています。

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第 3 章 画壇での活躍  Chapter 3: Playing an Active Role in the Art Circles

 大正期の半ばになると、小林徳三郎は芸術座の仕事を辞しており、困窮することもあったが、絵の教師などをしながら自作の制作に打ち込む、そして、院展洋画部に入選した 《鰯》 が写真家の野島康三の眼にとまり、個展開催が決まった。 個展には、油彩画だけでなく、苦心の末に完成させた衝立の作品も出品している 装飾的な日本画の世界にも興味を持っていたようだ。
 また、周囲から 「鰯の徳さん」 と認識されるほど惹かれて描いた魚の画題だが、息子が持ち帰った金魚を見て心境に変化が生まれ、より広く日常に絵の題材を得るようになる。 そしてこの時期から、こどもたちの自然な姿を捉えた代表作ともいえる作品を次々と発表していった。
 この大正期から昭和期までが徳三郎の洋画家としての充実期ともいえよう。 個性を花開かせ、春陽会会員となって活躍し、洋画家としての地盤を固めた時期であった。

3-1 野島邸での個展と日本画への接近―院展洋画部に入選した 《鰯》(所在不明) がきっかけで写真家の野島康三{照正}(1889-1964) 宅での個展開催が決まり、1922 年 12 月に展覧会が開かれた。
3-2 春陽会での活躍と画風の展開―萬鐵五郎が客員として招かれ、まもなく会員となった春陽会の展覧会に徳三郎も出品、1923 年の第1回展から入選を続け、1926 年に会員となった。

No.3-1-13c《鯛》No.3-2-25 《花と少年》東京ステーションギャラリー

・左 No.3-1-13c 《》 1923 年 油彩、カンヴァス 38 x 45.5 ふくやま美術館蔵 / ・右 No.3-2-25 《花と少年》 1931 年 油彩、カンヴァス 53.1 x 65 ふくやま美術館蔵

・No.1-1-23 《 大正時代末期から昭和 8(1933) 年頃までが、小林徳三郎の洋画家としての充実期と言えるでしょう。 春陽会の仲間から 「鰯の徳さん」 と認識されるほど周囲に強い印象を与え大胆な筆触による魚時代の作品、屈指の名作 《金魚を見る子供》 をはじめとする家族を描いた代表作を一堂に展示します。/ ・No.3-2-25 《花と少年 中学生になった輝之助を大胆かつ自由な筆致で描いている。



「小林徳三郎」東京ステーションギャラリー

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「小林徳三郎」東京ステーションギャラリー
「小林徳三郎」東京ステーションギャラリー

略歴 (1884-1949)

1884 | 1 月 8 日、広島県福山町(現・福山市)で生まれる。
1896 | 東京市芝区の私立正則中学に入学、同級生に福原信三(資生堂創始者/写真家) がいた。
1909 | 東京美術学校西洋画科を卒業。
1912 | ヒュウザン会(1913 年から「フュウザン会」 に名称変更) の創立に参加。
1913 | 島村抱月が中心となり劇団 「芸術座」 が結成され、斎藤与里らとともに舞台装飾に携わる。
1919 | 再興院展洋画部に 《鰯》(所在不明) を出品。
1922 | 野島康三邸で 「小林徳三郎個人展覧会」 を開催。
1923 | 萬鐵五郎とともに円鳥会結成に参加。 第1回春陽展出品。
1924 | 頌栄高等女学校で美術教育に携わる。
1926 | 春陽会会員推挙。
1929 | 春陽展出品作品 《金魚を見る子供》(1928 年) の絵葉書が評判になる。
1933 | 肺結核にかかり千葉県の館山で療養生活を送る(~1936 年)。
1934 | 短歌を始める。
1939 | 静岡県の江の浦や山梨県の河口湖に滞在して制作。
1945 | 空襲で世田谷区の自宅焼失。
1948 | 疎開生活を切り上げ、豊島区に引っ越す。
1949 | 心臓麻痺のため自宅で亡くなる(65 歳)。

小林徳三郎(1884-1949) は、大正期から 1940 年代にかけて活躍した画家です。 東京美術学校を卒業後、若者による先駆的な絵画表現で注目を浴びたフュウザン会で活躍、1923 年からは春陽展を中心に発表を続け、鰯や鯵といった魚を主題とした作品を数多く描き、 周囲に強い印象を与えました。 40代半ば頃より、自分のこどもたちをモデルに何げない日常を表現した作品が増え、画家としての個性をか花開かせます。 晩年は、江の浦(沼津市) をはじめとする自然風景に興味をもち、入り江や渓流といった風景画に取り組み、死の直前まで精力的に筆を握りました。



お問合せ:03-3212-2485
美術館サイト:http://www.ejrcf.or.jp/gallery/
主催:東京ステーションギャラリー [公益財団法人 東日本鉄道文化財団]、東京新聞
特別協力:広島県立美術館
協賛:T&D 保険グループ


参考資料:「小林徳三郎: A Retrospective」 プレス説明会、図録、Press Release.、チラシ他。


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